不自由に収まってみる

「自由」という言葉の響きの魅力は凄まじくて、どうしてもそれを求めてしまう。
 一切の縛りがないというのは、さぞや気分の良いものだろうと夢想していた。自由になればなんでもできるはずだ、と。

 だけど、案外その自由は私の身近にあって多くの人の身近にあるのだろう。
 なんの予定もない休日はそれはそれは自由なはずで、なにをやってもいいんだから最高の1日を送ることだってできるはず。
 でも実際のところ、「今日無駄にしちゃったな」と日が暮れてから思っていたりする。

「会社辞めたい」と言っているほどだらだら続けている。いつだって、辞める「自由」はあるはずなのに、なかなか実行されない。けれど、例えば体調を崩したり、家族が倒れたとかでやむを得ない理由が発生した時はあっさりと辞めてしまう。
 そういう限定や制限という「不自由」が生まれた時に、選択の自由が目の前に差し迫ってくる。
 本当にまっさらで透き通った「自由」にはなにもかもあやふやだ。動いてもいいし動かなくてもいい。選択してもいいし、選択しなくてもいい。
 だから、まずは一旦「不自由」に収まってみる。そして、その中で「自由」を見出して少しずつ育んでいけば、やがてはその「不自由」から解き放たれるかもしれない。
 世界のトップのスポーツ選手だって、競技に縛られている。だけど、その競技の中では誰よりも思い通りに動けて、思うがままに練習できる。それはきっと自由なんだと思う。

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