手段が目的化していないだろうか?

手段が目的化していないだろうか?
 人はかんたんに目的を見うしなってしまう。

 健康のためにはしり始めたら、だんだんはしることが目的になってしまう。
 あまりにのめりこんでしまって、結果的にひざをわるくしてしまう。

 そんなことがあたり前におこる。

 目の前にあることはとても強烈で、わたしたちをひきつける。
 だけど、それにこころをうばわれてしまうとふりまわされる。

 きれ味のするどい包丁をもったら、なにかをきりたくなってしまう。
 なんのためにそれを使うのかをわすれてしまったら、手段は時にわたしたちをきずつける。

 そうならないためにはずっと問いつづける必要がある。

 手段が目的化していないだろうか?

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