なにもしない勇気

 できない相手と関わる時は自分の弱みに直面する機会であると思います。

 仕事の新人であったり効率が悪い人など様々いますが、その最たる例は子どもでしょう。

 子どもは可能性の塊ではあるけれど、知らないからできることもまだまだ少ないです。だから大人が優越感に浸ることは簡単で、「なんでできないの」というもどかしさも、「これくらいできて当たり前」という自分の物差しで測っているからこそ起こりうる感情だと思います。

 それで、上手くできない相手に関わっていると庇護欲を刺激される場面があります。
 
 できないがゆえに子どもは生きる術として、頼ることがとても上手いです。「できなーい」「やってー!」と気負いなく悪気なくねだります。そこで仕方ないと笑ってやってあげることは簡単なのですが、はたしてそれは誰がなんのためにやることなのか、を考えた時に助けてあげることが最適なのでしょうか。
 手伝うことがいけないのではなく、手伝うことで大切な学びの機会を奪うことにならないか、ということです。大人が泣き顔や悔しそうな顔を見るのが嫌だから手伝うというのは、それは弱みにつけこまれているだけです。
 そういう心の隙間を自然と見つけて突いてきます。

 だからこそ、なにもしない勇気を持つことは大事だと思います。
 見放すのではなく見守り、上手くできなかったらすぐに口出しするのではなく、試行錯誤する時間を持たせる。
 面倒だからなにもしないのではなく、失敗も含めて成長する機会を奪わないためになにもしない。

 ただ、失敗しても咎めない環境づくりなどは必要になってきて、そのさじ加減がものすごく難しい。そこはトライ&エラーで解決していくしかありません。
 まあ、だからできない相手と接することは自分自身の成長のためにとても必要なことでもあると思います。

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