どうでもいいことをする意義

 自分にとって必要なことだけをやることにずっと違和感を覚えていました。
 どうでもいいことだってたまには必要だとずっと思っていました。

 ただ、その意義を明確に見いだすことができませんでした。
 けれど、ようやくその手がかりを掴めたような気がします。

 というのも、最近寺子屋塾に通ってらくだメソッドをやらせていただいています。
 今現在、私がやっているのは小学生の高学年なら簡単にできる掛け算や割り算です。
 計算すること自体が目的ではなくて、単純計算を通して自分の癖やミスの仕方などに気づくことが大事なのです。ヨガと一緒にですね。ただ、やることが身体を動かすか計算をするかの違いだと思っています。
 成人しているので、今更四則演算ができたところで誰も褒めてくれませんし、できなかったからといって誰かに見せるわけでもないので、馬鹿にされるわけでもありません。そして、やらなかったからと叱ってくれる人もいません。
 やってもやらなくてもどっちでもいい。まさにどうでもいいことです。
 
 でも、どうでもいいことだからこそありのままの自分が浮き彫りになります。
 例えば、大事にしていることに挑戦する時や好意を抱いている人の前で立ち居振る舞いはどこかしらに気負いが生まれます。成功したい、良く思われたい。巧妙に隠したところで、その思いが消えるわけではありません。
 だから、どこか不自然になってしまいます。

 けれど、どうでもいいただの計算には気負いが入り込む余地がありません。
 そこで現れる自然な自分を感じ、丁寧に振り返ってみることでありのままの自分を知ることができます。

 自分はどんな時にミスをするのか、うるさい環境と静かな環境では正答率はどう変わるのか。毎日やるはずの計算をできなかったのはなぜなのか。
 自分が前々から感じていた癖と再会することもあれば、中には知らなかった自分と邂逅することもあります。

 たまたまらくだメソッドにはそうした効果もあったわけですが、別に必ずしも計算でなくてもいいわけです。
 掃除の仕方やパソコンのファイル整理の仕方、好きになる本。
 意識しないようなどうでもいいことにこそ人の本質は投影される。しかも、それは一目見ただけでわかるようなわかりやすいような表出ではなく、黒地の服についたシミのようなしっかり観察しないとわからないものです。
 
 それをしっかりと振り返り、見つめ直すことで自分に気づくことができます。
 気づくことができれば、修正することができます。

 どうでもいいことは、だから必要なんです。
 効率化するのは自分を知ってからでも遅くはないでしょう。

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