日常への感謝が芽生える時

 私の実家では犬を飼ってます。
 15歳になる雑種の老犬ですが、最近呼吸がまともにできなくなりました。酷くなると、ヒューヒューと苦しげに音を立てながら呼吸しています。

 動物病院の先生曰く、喉のあたりにデキモノ(腫瘍?)ができているそうで、呼吸が阻害されている。もう長くはないかもしれない、と言われました。
 それでもまだ、自分の力で立てますし、食欲だけは旺盛なのでまだまだ大丈夫そうではあります。

 ただ、犬の不調を聞いた時は結構なショックを受けました。私が物心ついた頃からずっといた犬がもう長くはないかもしれない。
 距離が遠くて、一年に数回も会えなかった祖父が亡くなった時よりも、その死の気配はリアルでした。
 自分の当たり前にあった日常が崩れてしまうような感覚。
 
 いつまでも「今」は続かないんだ。自分はもちろん、家族や友人も年を重ね、関係性も変わり、なにかが生まれて、消えていく。
 その事実が間近に迫ってきました。

 すると、「今」に対する感謝を感じました。
 どこまでも続くような錯覚はしょせん錯覚に過ぎなかった。いつ消えても断ち消えてもおかしくない幻想だった。昔のビデオテープのように見るたびに消耗して、擦り切れてある時に見えなくなる。
 であれば一回一回を、今日という一日を大切にしなければという感情が芽生えた。

 まだまだ生きてくれそうだけど、気づかせてくれた犬に心から感謝です。
 もう少し生きてくれよ。私も頑張るからさ。

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