悩むのは余裕がある証拠?

 悩みというのは尽きないものです。1つが解決するとまた次の悩みが後から顔を出す。

 でも、その悩みというのは余裕がある証拠じゃないだろうか。
 自分が生きるか死ぬかの状況になった時に、悩んでいる場合じゃない。あの時の行いを正しておけばよかったとか、もっと家族に感謝しておけばよかったというよりも、まず今を生き抜くことに必死になるはずです。

 それで、くよくよ悩んでいる時って、悩む時間があるんですよね。
 次から次へと襲いかかってくる現実を相手に必死に凌いでいると、悩んでいる暇なんかない。

 それで、悩んでいる時はなにかに身を投じてみるというのは1つの手じゃないだろうか、ってことです。
 頭が1つのことで支配されていてそれどころじゃない、って時に別の刺激を与えれば、変化が起こるんじゃないだろうかって論理です。

 この場合、停滞すなわちくよくよ悩んでいることが一番非建設的であり非生産的であることを考えれば、劇物であろうと変化を促すことは意味があると思うのです。
 とりあえず、外に出て走りに行ったり。頭を使う将棋とかチェスとか始めたり、別の仕事について考えたり。やれることは意外とたくさんあって、重い腰を上げてとりあえずなにかやってみることはその状況を変えられるはずです。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク